読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

銀河の竪琴弾き

銀河の片隅の出来事をつづります♪  

自らを明け渡さないこと☆

気温は高くても

風があると涼しい夕方の都心

その風に吹かれ 夏に花をさかせる「エンジュ」から

その妖精のような花が舞い降りて頭上にプレゼントされたみたい

家に帰り気が付くと 花が玄関マットに落ちていた

いつもまるで絨毯のように敷き詰められたエンジュの落花の上に

つまりきのしたに自転車を止める

しばし花との対話を楽しみ 落花した花に 都会に住むミツバチが

わずかな風にも転がる落花にとまっている姿も楽しむ

落花を写真に撮ると 花の回りのエナジーが浮かんでいるのが見える

 

サイキック系の能力を意識して開発しようとは思ったことはない

それには興味がないし

リーディングもヒーリングもしたいとも思わない

そうなってしまった・・・というのが正しいのかも知れ無ない

 

ただ ただ自分を高めるというより

自分の可能性みたいなものを追いもとめて 

エナジーワークのワークショップを受講した結果

いつの間にか 思いもしない言葉が口からでてくる

 

いつもここで云っている

何を見ても 聞いても 経験しても

そこにどのような感情を選択するかは 自分の自由であり

その結果 次に何を経験するがだけであろう

つまりカルマなどないということ

気が付くだけでいいのだ

そして次にどう出るのか

 

今日 久しぶりに ????なコンサルと打ち合わせをした

僅か数日で調べた そして結果をだした内容で

他社(クライアント)の可能性を潰す発言を聞いた

僅か数日で調べたことは コンサルが得意とする話術をもってしても

底の浅さは 当事者(業界における当社)には直ぐに分かる

 

それがどんなネームバリューのあるファームであっても

高額なフィーを払っても 「これ」だ 

もちろん 「これ」でない場合もある

この背景に何があるのか

 

そして「これ」に 自らを明け渡して良いのか

そこに気が付く事 

「これ」しか出来ないなら 自分でやるしかない事を

それを気が付かせること せめて

まあ「これ」をやっていると やられていると

自然発生的に気が付く

気が付かなければ 気が付くまで同じ事を繰り替えす

つまり次ぎにも同じ経験を繰り返す

これがカルマといわれているものの正体 

カルマは気が付けば消える

 

私は銀河の竪琴ひき

自分がなぜ こんなに「これ」に 過剰に反応するのか

それは 自らの可能性を心底信じきっていない 自分に反応しているのだろ

自分が自分という「これ」に自らを明け渡している

自らを映し出す鏡 自己投影

それを観て 何に気が付き 何を思い どのような感情を選択するか

全て自由 自分にだけ許された自由である 

 

 

面白い地球と3次元

 

ありがとう