銀河の竪琴弾き

銀河の片隅の出来事をつづります♪  

回顧録その3

 

「その3」だったかな?!

 

  最近 ここ数年の記憶 とくに欧州から帰国してからの出来事が

 急激に浮上してくるようになった

 理由はとてもシンプル つまりその時の記憶=感情の解放

 記憶の書き換え=過去の書き換え作業だということが分かった

 

 自分のある時点での経験や感情は

 数年を経るとまったく違った次元で捕らえられることもある

 それが過去の書き換えでもある

 その書き換え作業をすることで 違う選択肢が見えてくる

 違う人生 違う行動 違う思考をするようになる

  

 この世の知覚が変わるのだ

 

 さて子供のころから達観したことを言ったり 感じていたら 

 それは現在のスプリチュアル系などで語られていることだった

 特別でもなんでもない 人がふと瞬間に感じて 分かった事

 その繰り返しのようなこと それを口にしたか 探求したか それだけ

 

 わたしは記憶にあるかぎり 自分と他人を比較したり

 自然と自己卑下をしたことがない 計算した卑下はある(笑)

 めんどくさいことを回避したりするために・・・

 

 自己卑下といえば 逆にその対象となることが多かった

 それは勝手に自分と私を比べて 泣く人 怒る人 嫉妬する人

 これらに出くわすことが多かった

 一体なんだ・・・ そこで共通していたのは 自己研磨をしていない人だった

 勇気 リスク 立ち向かう 自助努力ともいうかもしれない

 

 人の表面だけ 自分に見えてくるもの 自分に聞こえてくるものだけを

 収集して 勝手にストーリーを作り上げて 泣く 嫉妬 怒るのだ

 これが全部自作自演の芝居=人生をしていることに気が付くことができるか

 気が付かない者は 嫌味まで言い出すことも

 

 自分自身の 輝き 可能性 美しさ 愛しさ 崇高さ

 これらに目を向けるのではなく 

 人の輝きに目を奪われ自分が見えなくなっている

 

 もちろん活き活きと輝いている人は 魅力的に映る

 それを自分の中にあるもとして見る 観る 

 そして明かりを自身 自信に灯すことと

 

 人に嫉妬などをもって観ていると 

 自他の明かりを吹き消すようなことをする

 引きずりおろす(自分と同じ場所=次元に)ことで

 自分の底辺のみが 満たされていることに気が付かない

 

 さて 嫉妬という感情を自分にみたとき 

 いわゆる男女の情念のようなもので 嫉妬をしたことが無いことに気が付いた

 そしてほかの嫉妬心も捜してみた

 例えば 子供の頃に「えこひいき」をする教育者を目にたとき

 自分が感じていたものは 見えていたものは 独特の色と周波数だった

 

 本当に私に嫉妬心はないのかと 自己に問い詰めてた

 すると 記憶の大海を漂流していた ある感情が

 今 ここに流れ着いてきた

 

 私は銀河の竪琴弾き

 

 私は 今 ここで何をしている

 一体 何をしているのだ

 本当に こんなことがしたいのか

 今 自分の目に映っている世界が好きなのか

 今 自分の周りにあるものが これからも連続してあっていいのか

 そのようにありたいのか 何故こんなに気分が晴れないのか 

 

 それらに気が付かせてくれた

 人 環境 物 

 それらに 善悪もなく

 ただそこに 私が気が付くために

 その役割をなすモノとしていただけだった

 

 そう その役割だった わたしも

 これから どの役割をするために 

 どこにいるのか わたしも あなたも

 

 ありがとう